昨日あんなに大騒ぎしたけど「岡本綺堂を読んだ方が…」って読者じゃなく糸柳先生が読んだ方がいいって意味??創作の資料としてとか
何度も何度も読みすぎて意味が分からなくなってきた こういうのもゲシュタルト崩壊って言うんですか?

どちらの意味にせよ、御伽草子ではなくて岡本綺堂の「玉藻の前」を出してくるのは糸柳先生が書こうとしているのが単なる殺生石伝説ではなくて恋愛要素を絡めた作品だと理解してるんですがどうでしょう。

そして新作構想とはいっても、日常的に浮かぶ無数のアイディアスケッチのひとつなのか、打ち合わせ等を経て具体的に発表予定があるお仕事を練っているのかでもまた味わい変わってくる。ネガティブ発言をそのまま受け取るならそんなに次々アイディアが浮かんでいくタイプの作家ではないようにも思えるし、いうて第一線の創作者だしという気もするし。

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